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伊ヶ谷地区海上より見る三宅島
伊ヶ谷地区海上より見る三宅島 撮影2003年4月10日三宅支庁提供
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都庁職新聞
 
都民生活を支える組合員

 

 都庁職員は、様々な業務を通じて、都民生活を陰で支えています。新年号では、2つの職場を訪問し組合員の皆さんに話を伺ってきました。

 

特集その1 東京都廃棄物埋立管理事務所の仕事

 抜けるような青空に東京ゲートブリッジが映えています。遠くに東京スカイツリーも見えます。ここは中央防波堤外側埋立処分場です。
 人間の生活で必ず発生するのがゴミです。年末年始にゴミ回収の有難さを改めて感じた人も多いと思います。23区の住民が出したゴミや都内の中小事業者が排出した産業廃棄物の一部は、焼却や中間処理を経て、東京都の廃棄物埋立処分場で埋立処分されます。現在、廃棄物の埋立ては、中央防波堤外側埋立処分場と新海面処分場Bブロックで行われています。東京都廃棄物埋立管理事務所で廃棄物埋立地の管理業務などを担う組合員の渡辺さん、神保さん、長本さん、新井さんに話しを伺いました。
渡辺さん 「廃棄物埋立管理事務所は、中央防波堤埋立処分場の管理をしています。場所は、江東区海の森にある環境局中防合同庁舎の中です。
 東京のゴミ埋立ての歴史は、江戸時代初期まで遡ることができるそうです。1927年からは、現在の江東区潮見でゴミの埋立てが開始されました。当初はゴミに火をつけて燃やしてから埋め立てる『野焼き』方式がとられていましたが、煙や粉じんへの苦情が相次いだため、1955年頃からは、生ゴミ等はそのまま埋め立てられるようになりました」
神保さん 「江東区夢の島の埋立が1957年から、その後は江東区若洲。これらの埋立地では、ハエやネズミが大量発生するなどして、ゴミ戦争と呼ばれた社会問題になりました。その後は、中央防波堤内側埋立地、羽田沖の埋立地。この頃から、ゴミの処分には厳しい環境保全対策が求められるようになりました。現在埋め立てられているのが中央防波堤外側埋立地(1977年〜)、新海面処分場(1998年〜)です。この頃から処分場を延命化することが都政の重要課題となり、清掃工場や粗大ゴミ破砕処理施設など中間処理施設の建設が急速に進められました。東京には、次に処分場を設置できる水面はありません。新海面処分場は23区にとって最後の埋立処分場です」
渡辺さん 「1994年頃までは生ゴミや不燃ゴミもゴミ収集車が埋立地に運んでそのまま埋め立てていました。しかし、1996年度からの事業系ゴミの有料化の実施、1997年2月から可燃ゴミ全量焼却体制が整ったことなどによって、23区の廃棄物を巡る状況は大きく変化しました。1989年に300万トン超だった埋立量は、2020年には36万トンまで削減できました」

 

廃棄物埋立処分場での業務

 「現在のゴミの処分と埋立について教えて下さい」
渡辺さん 「東京23区のゴミは、平成元年の490万トンがピークで減少傾向にあります。現在、23区では、資源として再利用される以外のゴミ(可燃ゴミ・不燃ゴミ・粗大ゴミ)は、基本的に全て埋立地で最終処分します。可燃ゴミは清掃工場で燃やして灰にしてから、不燃ゴミと粗大ゴミは処理施設等で細かく砕いてから埋立処分されます。細かく砕いたゴミの中から鉄やアルミニウム等は資源として再利用しています。また、東日本大震災の震災ゴミは、焼却処分後の飛灰が埋め立てられています。埋め立て後、放射線量を測定しており、今もそれを欠かすことはできません」
神保さん 「環境問題への関心が高まっているため、私たちの事業の見学が多くなっています。コロナ前には年間約5万人の見学者がありました。見学には自治会役員や外国人も見学に来てくれますが、多くは23区の小中学生です。中防合同庁舎内には環境学習ホールが設けられていて、そこも利用して環境学習の場となっています」
 「皆さんが携わっている業務について教えて下さい」
新井さん 「私たちは、主に埋立地の管理を行っています。現在も埋立地からはメタンガスが出ており、時には火災も発生します。不法侵入もあります。そのため、開場中は消防車で切れ間なくパトロールを行っています。土ほこりが立たないように適切に散水することも消防車の重要な役割です。また、埋立場所は常時移動しているため、廃棄物運搬車が通る道をブルドーザなどの重機で整備し、案内板を設置するなどは絶えず行っています。埋立地の道路は舗装していないので、豪雨などで崩れた時には補修も行います。埋立事業が円滑に行われるように埋立地全体を整えることも私たちの仕事です。また、埋立地では風が強いため、屋外で使用する機材には既製品を使えませんので、自分たちで溶接などを行ってオリジナルの機材を作っています。環境保全の観点から植栽を行うなどの仕事もありますよ。そして、雨がゴミ層に染み込んで汚れた浸出水による海域汚染防止のため、浸出水の貯留池が設けられており、これらの管理もしています。廃棄物運搬車の残土やタイヤに付いた埋立地のドロや土等を外に出さないように洗浄する業務もあります」
 「皆さんの業務に関して変化などはありますか」
長本さん 「東京ゲートブリッジが開通して埋立地にも一般の道路が通ったことで、東京にある未開の土地という感じが薄れてきたように思います。私たちはずっとこの埋立地で働いてきましたが、年号が平成になった頃から、ゴミの処理が変わり、環境対策が変わり、都民の関心やマスコミの取り上げ方も大きく変化してきました。私たちの仕事も、それに合わせて否応なく変ってきた、というのが率直なところです。今後も、ゴミ処理の状況の変化や技術革新で仕事は変化していくと思います。それに対応して、必死に自分たちの仕事も変革していくことがこれからも現場の私たちに課せられているように思います」
 「お忙しい中をありがとうございました」

 

遠くに見える東京の都心部
足元に埋まっている廃棄物

 取材に際して埋立処分場内を見学しました。第一印象は「とても広い」ということです。舗装されていない土の道路が続くので少し車酔いをしてしまいました。ゴミの埋立場所は深く危険な現場です。古い埋立場所には、カラスやトンビが沢山いるのが印象的でした。ここから羽田空港、富士山、葛西臨海公園、東京ディズニーリゾートなど、綺麗な景色が良く見えるということを聞いて思わず「いいですね」と言うと、皆さんは笑って「毎日見ているから気にならなくなりますけどね」とおっしゃっていました。
 埋立地を眺めていた時、そこからふっと視線を上げると、目の前には東京ゲートブリッジがあり、その先には東京スカイツリーがありました。そして東京都心のビル群が目に入りました。そこから出る様々なゴミが、最終的に中央防波堤処分場で処分されるのだなと、そこで働く仲間達が都民の生活を支えているのだなと感慨深く思いました。

 

特集その2 東京都公文書館の仕事

 

東京都の公文書を後世の財産に

 東京都職員が作成・活用している公文書などは、歳月を経て歴史的資料となり、後世に伝える価値を有する都政の財産になります。歴史的資料として重要な価値を有する東京都の公文書等を、都民共通の財産として後代に伝えるため、これを保存し、都民などが利用するための役割を果たすのが東京都公文書館です。2020年4月に国分寺市に移転開館した東京都公文書館を訪れて史料編さん担当の西木さん、佐藤さん、瀧澤さんに話しを伺いました。

編集部(以下「編」) 「公文書館の事業はいつ始まったのでしょうか」
西木さん 「東京都公文書館の前史は、1902年(明治35年)に東京市が東京市史編さん事業に着手したことに始まっています。そのため、現在も行われている史料編さんは、120年以上に渡って継続している事業といえます」
佐藤さん 「終戦後、GHQから各官庁に文書の『中央保存所』設置が指示されました。東京都は総務局文書課四谷分室に、空襲を避けて疎開していた東京府・市時代の文書のほか、焼失を免れた古文書等の記録資料を集め、東京都における中央保存所としました。これが東京都公文書館の基礎となりました。さらに、1952年には四谷分室を整備して都政史料館が設置されました。その後、公文書等の総合的、統一的な管理を行うために、都政史料館の機能と文書課の永年文書保存機能を統合して1968年10月1日に港区海岸に設置されたのが東京都公文書館です。詳しい経緯は西木さんが執筆した『史料編纂事業のあゆみとアーカイブズ』(東京都公文書館調査研究年報2022年第8号)に記載されています」
 「事業内容や組織について教えて下さい」
瀧澤さん 「現在の公文書館は、東京都の歴史公文書等や庁内刊行物などを系統的に収集・保存し、利用を図るとともに、東京都に関する修史事業を行っています。具体的には、
・東京都の歴史公文書等の移管や公開に備えての整理、保存管理
・資料(都庁内刊行物、図書・資料類)の受入れ
・簡易閲覧又は利用請求による特定歴史公文書等の閲覧等の提供
・「東京市史稿」「都史資料集成」「東京都行政資料集録」等の編さん刊行
・公文書・史料等の補修、修復、復刻、製本
・公文書等のデジタル化
・公文書又は資料等の内容及び江戸・東京に関する事項等のレファレンス
等を行っています。
 組織としては、公文書館長の下、庶務担当、整理閲覧担当、事業調整担当、史料編さん担当が業務を行っています」

 

会計年度任用職員の大幅な処遇改善が急務

 「ここ数年間の利用状況などを教えて下さい」
瀧澤さん 「国分寺への移転やコロナ禍などで、この数年は大きな影響がありました。移転後の開館と同時に企画していた普及広報企画がほぼすべて中止となってしまいましたからね。しかし、今年度は感染対策をしっかり行った上で徐々に事業の再開等をしており、全ての利用が増加・回復すると予測しています」
 「条例の施行や国分寺への移転などで変化した状況を教えて下さい」
西木さん 「2020年4月に『東京都公文書等の管理に関する条例』が施行されました。条例内容の説明は割愛しますが、公文書館に大きく影響しているのは、資料の移管や収集などの対象が、知事部局等から公営企業や警察・消防等を含む東京都の全組織に拡大されたことです。大まかに言えば公文書の対象が約2倍になりました。これによって特に整理閲覧担当の業務が増大しています。残業も恒常的に増加しています。また、国分寺への移転で初めて展示室が設置され、企画展も定期的に行えるようになりました。史料編さん担当もその分の業務が純増になったと言ってよいと思います。事業系の業務増加と任用体系の多様化は当然、庶務担当の負担増加にも帰結していますね。業務増は、常勤職員の定数増ではなく、会計年度任用職員の増員で対応しています。公文書館で働く会計年度任用職員は、記録資料の保存や整理に関する知識・経験が求められたり、歴史学に関する研究者としての知識が必要であったりする専門的な業務が少なくありません。処遇が改善されないと貴重な人材が失われてしまうので、この点では組合にもっと頑張って欲しいです」
瀧澤さん 「公文書館は、港区海岸の旧公文書館から世田谷区玉川に6年間の仮移転をして、2年前に国分寺に本移転と、2回の庁舎移転を行いました。仮移転中は、廃校になった校舎を活用したので、公文書等の保存管理には温度や湿度などの条件がかなり悪く、様々な問題がありました。また、執務室の環境も悪くて職員全員が大変に苦しみました。本移転で新しい庁舎となり、保存管理の環境や執務環境が劇的に改善され本当に良かったです。この間、仮移転と本移転と続きましたが、これを事務的に支えてくれた庶務担当の職員のみなさんの並々ならない頑張りに感謝しています」
 「都庁の組合員に伝えたいことはありますか」
瀧澤さん 「歴史的公文書を後世に残す観点から言えば、正式に作成された文書だけでなく、結論に至る過程を記録した文書や検討の段階で残したメモなどに重要な価値が出てきます。保存の対象となる公文書等とは、そうした付属文書も含まれることを各職場で働いている皆さんに改めて意識して頂ければと思います。過去を未来へ伝える都民の大切な財産だということを公文書館の事業を通じて知ってもらえれば嬉しいです」
西木さん 「大きな流れで言えば、公文書管理法制定や都知事の交代などで、公文書管理や史料編さんを巡る状況は大きく変わったように思います。史料編さんの仕事も普及事業の重要性が高まって、SNSを活用するなど発信力を強めています。展示室の活用や企画展の定期的な開催で東京都公文書館への注目度も高まっていると思います。2022年6月には番組の収録で公文書館に来訪し、その様子が放送されました。ぜひ組合員の皆さんも公文書館に来て下さい」
 「お忙しい中ありがとうございました」

 

歴史的資料になる公文書
未来の都政に引き継ぐ

 取材の後に、公文書館の館内を見学しながら、今まで深く考えていなかった公文書の管理について思いを巡らせました。
 昨年は、全国各地の裁判所で神戸連続児童殺傷事件などの重大な少年事件や重要な民事事件の記録が廃棄されたという問題が明らかになりました。また昨今、森友学園問題、加計学園問題などが起こり、国政や地方政治における文書管理が問われる事態が相次ぎました。取材中、そのことについて触れたところ、公務員として、公文書管理に携わる職員として、これらのニュースに憤りを感じると皆さんがおっしゃっていた事が印象に残りました。
 将来的に貴重な歴史的資料となっていく東京都の公文書。一職員としても、大切な情報財産を正確に未来に引き継いでいく責任があるのだということを考えさせられた貴重な取材になりました。

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