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伊ヶ谷地区海上より見る三宅島
伊ヶ谷地区海上より見る三宅島 撮影2003年4月10日三宅支庁提供
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都庁職新聞
 
大島に元の笑顔を
島しょの災害対策を強めよう!

 2013年10月、日本列島を襲った台風26号の影響により、伊豆大島で、大規模な土石流が発生し、災害対策の想定を超えた甚大な被害となりました。災害発生直後からの支援では、多くの東京都職員が救援・復旧業務に携わっています。被災から約3か月の伊豆大島を訪れました。


災害復旧を支える東京都の職員


被災前の伊豆大島全景

(写真は(一財)大島観光協会のパンフから)

 2013年10月15日、大島支庁では台風26号による被害に備えて、職員を泊まり込みで配置していました。その夜から、支庁の職員の皆さんは、全力で、災害復旧にあたりました。
 被災の影響で、携帯電話が不通になるなどの困難な中、支庁の土木課は、16日未明に巡回を行い、大災害の状況にあると判断して、全職員を招集。町役場と協力しながら、事業者とも連絡をとって、沢や道路などの応急復旧を行いました。
 避難道の確保は、多くの住民の命を守りました。また、支援が本格化し、空港や港と街を結ぶ都道が救命・救援活動を支えました。
 空港と港がフル稼働となり、人手が不足し、経験豊かなOBが臨時職員で配置され、業務を共に担いました。
 東京都は、被災直後から職員を派遣。現地支援業務に、多くの東京都職員が携わりました。

 

住民に寄りそい復興支援を

 

災害ボランティアの活動

 12月9日、大島を訪問して、大島支庁で働く組合員やOB、住民の皆さんに、被災当時の緊迫した状況などのお話しをうかがってきました。
 被災直後から支援が行われたとはいえ、離島では、人員も重機も絶対量が不足しています。現在も、厳しい状況の中で、救助活動、住民避難、2次災害防止、道路維持、物流確保など重要な課題は山積みです。
 支庁職員と派遣職員は、大島町と連携して、優先順位を的確に判断して復旧にあたっています。
 現在、状況は幾分か落ち着いていますが、復旧には最低でも2年間かかると言われており、その先には、完全復興へ長い道のりが続いています。
 この被災の経験を活かし、大島の住民の意見・要望を反映して、強固な災害対策を講じていく必要があります。


一日でも早く笑顔を また来るね!大島

 

ボランティアのイラスト

 船が出港するまでの短い間でしたが、島民の方から「大変な状況だけれど、本土の人に大島に遊びに来て欲しい。大島の自然や風土、この現状も含めて大島を知って欲しい。大島を好きになって欲しい」というお話しをお聞きしました。
 災害ボランティアの皆さんが残している寄せ書きにも、「一歩一歩、共に前へ進みましょう」「一日でも早く笑顔を」「みんなが見守っています」「また来るね!大島」などと書かれていました。
 1月26日から3月23日まで「観光復興スタート・第59回大島椿まつり」が開催されます。今年の大島椿まつりは被災から立ち上がり、地域再建と観光復興に進むための大切な催しです。
 組合員の皆さんも大島を来訪して、島民の皆さんとふれあい、交流して、大島復興を後押していきましょう。

 

暗闇で足元から吹き上げる豪雨

 

 10月15日には、あのような大災害が起こるとは、考えていませんでした。
 午前2時半頃に停電。風雨の強まりに不安を感じ、玄関から外を見ましたが、外に出られる状況ではなかったです。雨は上から降ってくるのではなく、暗闇の中、足元から豪雨が吹き上がってきていました。避難できる状況ではなかったですね。子ども時代に経験した狩野川台風での沢の決壊を思い出し、大金沢が心配でしたね…。
 午前6時に外へ出てみれば、医療センターから南側は、普段の景色と一変。家がある場所に家がなく、道がある場所に道がない。沢沿いに住む知り合いは、玄関から現場を見て腰を抜かしました。土砂と杉や椎の大木が崩落した中で、身内を探す人の声が響いていました。同級生や知人が亡くなって、私もショックを受けています。
 とにかく、行方不明者を早く家族の元へ返してあげたいです。
 島しょの生活は、自然との共生と闘い。島全体の力で自然に寄り添った復興をしていきたい。
(OB組合員のお話し)


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