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伊ヶ谷地区海上より見る三宅島
伊ヶ谷地区海上より見る三宅島 撮影2003年4月10日三宅支庁提供
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都庁職新聞
 
新春 特別寄稿
3・11以降、出会ったいのち、出会った言葉
作家・落合恵子さん
 「私の心の健康法は、怒りの大本をなくすため考え、いのちを踏みにじるモノへの怒りであり、行動すること」と語る落合惠子さん。3月11日以降、「さようなら原発1000万人アクション」の呼びかけ人のひとりとして、しなやかに元気に自然体で活動されている落合惠子さんにご寄稿いただきました。

何ができるか自らへの問い

落合恵子さん
プロフィール:昭和20年1月、栃木県宇都宮市生まれ。明治大学文学部英米文学科卒。文化放送入社。退社後、著述業に専念。1976年には子どもの専門店・クレヨンハウスを設立。社会構造的に「声の小さい側」におかれた声を書いている。
 新しい年がやってくる。
 「どんな1年になりそうですか? 来年を占ってください」。恒例のインタビューなどをメディアから受けた年末。
 わたしが語れるのは、占うことではなく、こんな年にしたい、という希求と要望と、それを実現するために、それぞれのわたしに、何ができるかという自らへの問いかけだけだ。
 それぞれの高齢者が、長生きしたことを心から祝福できる社会と時代。それはそのまま、それぞれの子どもが自分に生まれたことを歓迎できる社会と時代である。そしてそれこそが、間もなく68歳になるわたしが心から求めてやまないものであるのだ。それゆえに、ささやかながら反戦、反核、反差別、そして反原発などの活動を続けている。しかし、現実は……。

ほうしゃのう こないで

 七夕の短冊に「ほうしゃのう こないで」と書いたあの子はどんな新年を迎えているだろう。高齢者の施設。窓の外、冬枯れの庭に目をやりながら、
 「わたしの不幸は、長生きしたことです」。つぶやいた84歳のあのひとは、どんな新年を迎えておられるだろうか。
 福島第一原発の過酷事故。その年の夏の数日間を有志たちの力添えで、故郷を離れたところで過ごした子どもたち。
自分を抱きしめてあげたい日に
ハグくまさん
てんつく怒髪 ―― 3.11、それからの日々
ご一読を
『自分を抱きしめてあげたい日に』
集英社/2012年8月発行
『ハグくまさん』
クレヨンハウス/2011年12月発行
『てんつく怒髪 ―― 3.11、それからの日々』
岩波書店/2012年10月発行
  「抱っこしてあげてください」
 若い母親からわたしの腕の中におさまった生後2か月の赤ちゃん。軽いけれどずっしりと量感のある丸ごとのいのち。あの子が母親のおなかにいた時、シビアアクシデントは起きたのだ。
 「子どもが、眠りに入るのを待って、家を出るのです」。土曜の夕方、若い父親は単車で郷里の福島をあとにする。そして日曜。子どもが眠るのを待って、再び福島に単車を飛ばし、帰っていくのだ。
 「目を覚まして、パパ、パパと後を追われるのが辛いので」
 彼の傍らで、母であり妻である彼女は静かに涙を流していた。

ニホンがどう変わるのか

  わたしたちの社会は大きく変わった。変わらなければならない。
 あれほどの人災、原発事故を体験したのだから。あれほどの自然災害を体験したのだから。
 12月。来日中の世界的生物学者であり、環境活動家でもあるデヴィッド・スズキさんと対談した。日系3世である彼は子ども時代、敵性国民として収容所に収容されたこともある。(後にカナダ政府は、そのことを謝罪)。
 「世界中がいま、ニホンを見ているのです。原発事故の後、ニホンがどう変わるのか。ニホンジンが、何をどう変える選択をするのか、を」。

人生はとてもリッチだった

 彼の話の中で最も印象に残ったエピソードのひとつが、日系2世である父、カール・カオル・スズキさんの最期の日々についての、話だった。このエピソードの一部はすでに新聞に書いたが、書ききれなかった想いがあるのでご紹介したい。
 「家具職人であった父は、大きな家も立派な車とも、むろんお金とも無縁の人生でした。働いて、働きつづけた父でした」
 その父が、亡くなる前に息子である彼に告げたという。
 「わたしの人生は、とてもリッチだった」と。通常いう、裕福という意味ではない。「息子や孫たちのなかで、私は生きつづけていくよ」。父親はそうも言ったという。

つながりたい共に歩みたい

 わたしたちは「そういう人生」を求めていたのではなかった、か。しかし、現在……。だからこそ、この社会の頑迷な構造に風穴を開けようと、必死に踏ん張るひとたち、挫折をも笑いのタネにしながら頑張るひとたちと、わたしはつながりたい。共に歩みたい。
 3・11以降に出会えたひとたちの言葉のひとつひとつが、わたしの2013年を支えてくれるはずだ。
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