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職場はいま 検証〈12〉
都立病院は全体でひとつ
病院支部 都立松沢病院
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都立松沢病院(世田谷区) |
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松沢病院分会のみなさん |
梅雨空の7月上旬、世田谷区松沢にある都立松沢病院を訪ねました。
松沢病院は、養育院が1879年に神田に移転した際に、精神疾患者のために上野に開設した東京府癲狂院が始まりです。
その後、向ヶ丘や巣鴨駕籠町へと移転し、名称も巣鴨病院となりましたが、1919年に当時荏原郡松沢村の敷地面積6万坪の現在地に移転し、今日の松沢病院となりました。
なお、多くの人が反対する中、2010年に廃止された梅ヶ丘病院は、終戦直前に、民間の青山脳病院(当時の院長は、歌人で有名な斎藤茂吉氏)の譲渡を受けて、松沢病院梅ヶ丘分院として開設されました。
電子化の中超勤が恒常化
松沢病院分会の執行委員でもある太田支部長にお話を伺いました。
「新館での業務を5月に開始し、開設に合わせて、カルテを電子化しましたが、通常の業務を行いながらの電子化でしたので、医師・看護師の超過勤務が恒常化しました。
また、現在5ヶ所で2交代制となっていますが、夜勤は最低でも3人は必要です。他の都立病院は、10対1ないしは7対1看護ですが、精神科では採算がとれないとの理由で一部を除き15対1看護のため、看護師の数が少なく、運用配置を行いながら2交代勤務を行っています。」
PFI方式施設面に不安
移転後の新館についても伺いました。
「新館にある保護室の扉を開錠すると9分後に警報が鳴ります。9分間ではなにもできませんので、警報を止める必要があります。
また最近、防災設備の故障により病室の扉が一斉に開錠しました。そのため看護師が扉の前に立たなければならないことがありました」「新館は、PFI方式により建設されました。さらに運営も医療部門を除きPFIです。最寄駅である八幡山に近い西門から、新館玄関までの院内道路が狭く、歩道と車道が分離できていない上、視覚障害者の誘導用ブロックも設置されていません。玄関前では歩道と車道の区別がつきにくく、タクシーの歩道の乗り上げが多発しています。いつ事故が起きるかと心配です」
松沢病院の歴史を振り返ると、病院の開設には、都立や民間などそれまでの病院との繋がりが見えてきます。そのことを考えると一つ一つの都立病院は、単独ではなく、全体でひとつだということを実感させられました。 |