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伊ヶ谷地区海上より見る三宅島
伊ヶ谷地区海上より見る三宅島 撮影2003年4月10日三宅支庁提供
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都庁職新聞
 

こんな職場、こんな仕事(第70回)

社会教育はどこへ行く

                       教育庁支部 多摩社会教育会館

岡部副支部長(左)と三多摩分会の小松さん
岡部副支部長(左)と三多摩分会の小松さん
多摩教育センターの一画にある社会教育会館
多摩教育センターの一画にある社会教育会館
 梅雨の合間に西国立にある多摩社会教育会館を訪ねました。教育庁支部の副支部長で三多摩分会の分会長の岡部さんと社会教育会館の小松さんにお話をうかがいました。
 社会教育会館は本来、地域の社会教育を支援する施設として、文字通り設置されているものです。ところが、人が減らされた結果、社会教育とは名ばかりの施設になっていることが明らかになりました。

定数ゼロが続き実人員も削減

 2005年、都の人員計画のなかで定数ゼロが打ち出されました。代わりに再雇用職員が配置され、06〜07年は10名でしたが、08年には8名に減らされました。都の再雇用制度見直しのなかで、教員出身者に対して都側は「学校へ戻るか辞めるか」という攻撃をかけ、結局ほとんどの再雇用職員が職場を去ることになりました。
 そして2010年からは、小松さんただ1人が再雇用職員として残り、不足する人員は業務委託で埋めることになってしまったのです。

 


定員ゼロを解消せよ

 

多摩社会教育会館は残ったけれど

受付は委託されている
受付は委託されている
設備の整った観賞室
設備の整った観賞室
木のあたたかさが感じられるホール
木のあたたかさが感じられるホール
 1985年当時、前身の立川社会教育会館は廃止という方向が打ち出されましたが、反対する市民運動などもあり、1987年には新しく建て替え、名前も多摩社会教育会館となったのです。ところがその後、生涯教育という言葉もてはやされてはいますが、本来の社会教育のあるべき姿がひとつひとつ消えていっています。
 2004年度までは年に何回か予算を組んで三多摩コンサート・三多摩劇場という催しを社会教育会館として行っていました。しかし、旧立川社会教育会館時代から築いてきた事業そのものを教育庁は止めてしまいました。
  かつて管理係と事業係、奉仕係、視聴覚係とありましたが、係がひとつづつ無くなり、現在は「貸し館」業務だけに縮小しています。
 石原都政のトップダウン行政のなか、社会教育を育てる方向ではなく、縮小させる方向に予算も人員も削られてきました。

来年度以降は闇のなか

 委託業務は8時30分から4名、午後4時30分から2名の体制です。小松さんは都庁の地域教育支援部管理課に配置され、社会教育会館で働いています。来年3月で再雇用が終了します。来年度以降の施設運営がまったく見当がつきません。

貸し出しの仕事

 現在はおもにホールや鑑賞室などを貸し出しています。850名定員のホールは明るく使いやすそうです。90名定員の鑑賞室も液晶プロジェクターやマイクロフォン設備があります。
 当時は社会教育主事などの専門職もおり、専門性のある職場でした。

教育施設が入る複合型

 建物には多摩社会教育会館のほかに多摩図書館、多摩教育事務所、西部学校経営支援センター、教職員研修センター立川分室・相談センター分室が集合しています。
 本来は、多摩地域の社会教育事業の中心となるべき重要な施設です。
 多摩の社会教育をどうしていくのかが急務の課題です。



多摩社会教育会館条例
第1条 都民が社会教育に係る学習活動を行うための場所を提供し、地域社会における社会教育を振興するため、東京都立多摩社会教育会館(以下「会館」という。)を東京都立川市錦町六丁目三番一号に設置する。
第2条 会館は、前条の目的を達成するため、施設の利用に関する事業を行う。
第3条 別表に揚げる施設又は付帯設備{以下「施設等」という。}を使用しょうとする者は、東京教育委員会(「以下「委員会」という)の承認を受けなければならない。
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