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伊ヶ谷地区海上より見る三宅島
伊ヶ谷地区海上より見る三宅島 撮影2003年4月10日三宅支庁提供
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都庁職新聞
 

こんな職場、こんな仕事(第39回)

過去・現在・未来の掛け橋として
 文書が何百年も生き続ける公文書館に
本庁支部 公文書館

案内していただいた水野さん(左)と西木さん(分会書記長)
案内していただいた水野さん(左)と西木さん(分会書記長)
 暖冬の1月末に浜松町の竹芝桟橋の手前にある東京都公文書館を訪問しました。会議室でさっそく西木さんと水野さんからお話を伺いました。公文書館では常勤職員14名、嘱託員11名、専務的非常勤職員10名の計35名が仕事をしています。庶務係・整理閲覧係・史料編さん係の3係があります。

 

公文書を引き継ぎ歴史を埋める

補修工事中の公文書館
補修工事中の公文書館
 知事部局で作成される公文書の内、長期保存文書はすべて公文書館に引き継がれます。また有期保存文書は評価・選別され、歴史的資料として後世に伝えるべきものはやはり公文書館に引き継がれ、保存されます。これらの公文書は原則として30年経過すると作成原課との協議の上で公開され、窓口での閲覧対象になるのです。膨大な都の公文書を評価・選別し、確実な保存体制をとり、さらに目録を作成していくには相当の経験の蓄積と、専門性が要請されます。欧米等では公文書館制度が確立しており、アーキビストと呼ばれる専門職員が多数配置されていますが、日本では公文書館の成立は遅れ、いまでも全都道府県に存在していないとのこと。これまで数人の経験豊かな職員や、専務的非常勤職員によって業務をこなしてきましたが、その専門性の継承ということは大きな課題です。また相次ぐ組織改正や引越しの際、史料が散逸することがないか、引継ぎ制度が十全に機能していなかった時期、とくに昭和20〜30年代の公文書が事務所や倉庫の片隅に眠っていることはないか、そんな不安が大きいといいます。公文書の確実な引継ぎがないと、ある時期の都の歴史に空白が生じてしまうことになるからです。

 

東京の歴史をつづる史料編さん

江戸幕府編さんの地誌「御府内備考」
江戸幕府編さんの地誌「御府内備考」
明治時代の古文書
明治時代の古文書
 東京都の前身である東京府、東京市の史料編さん事業が、公文書館の母体になっています。そこで収集保存された古文書・書籍・地図等が貴重な歴史資料として閲覧に供されています。また、戦時中、戦局が悪化する中で東京都は必要最低限の文書について疎開計画を立てましたが、そこでは明治初年以来の貴重な公文書群まで疎開させる余裕はありませんでした。しかし、市史編纂に当たっている職員たちはなんとしてもこれを残そうと努力し、トラックを雇い上げ、埼玉県騎西町の農家の蔵へと運び、貴重な史料の焼失を免れました。もしこれが焼けていたら明治期の東京の都市行政はまったくわからなくなっていたとのこと。先人の史料保存への努力に感謝しなければなりません。史料編さん係では、明治44年に刊行を開始した「東京市史稿」という史料集の編纂を継続しており、現在は江戸の産業・経済に関する基礎史料を刊行しています。また、近現代の東京都制をテーマ別にたどる「都史資料集成」も、都政行政の歴史的検討に不可欠の情報を提供しています。

 

和紙と墨の貴重史料

閲覧室の受付け
閲覧室の受付け
 閲覧に来る人は年間で約4千人であり、職員と都民がほぼ半々です。明治時代の書類が1万3千冊保存された書庫は圧巻です。また江戸幕府編纂による江戸町々の詳細な地誌「御府内備考」などの貴重な古文書もたくさん所蔵されています。和紙に墨で書かれた文書にしばし歴史の重みを感じました。しかし水野さん、西木さんによれば、これらの貴重な史料ももとをただせば幕府や東京府の役人がその業務のために作成したものとのこと。逆にいえば、今日私たちが何気なく作成している公文書も100年経てば立派な歴史史料になるということです。公文書の収集・保存、歴史史料集の刊行、どちらかというと地味な仕事ですが、過去・現在・未来をつなげるロマンあふれる仕事でもあるようです。そんな公文書館の役割を感じながら、水野さんと西木さんにお礼を述べて公文書館を後にしました。

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